第95話 武相国境道 1 とつか歴史探訪
武蔵国(むさしのくに)・相模国(さがみのくに)は、奈良時代の律令で定められた行政区分による国の名前で、地域名としては明治時代まで続きました。
横浜市の大部分は武蔵国に属し、今の中区など横浜市の中央辺り海沿いに位置した久良岐(くらき)郡、鶴見区・神奈川区などが属した橘樹(たちばな)郡、・緑区・青葉区・都筑区などの北部に位置する都筑郡がありました。
戸塚は旧戸塚区(戸塚区・泉区・栄区・瀬谷区など)と港南区・金沢区・南区の各一部と併せ相模国の鎌倉郡に属していました。現在でも「武相国境」と呼ばれ、概ね各区の境となっていますが港南区のみ区内を縦断しています、尾根伝いの道が多く分水嶺となっています。従って武相国境の東側武蔵国側に降った雨は東京湾に注がれ、西側相模国の雨は相模湾へと分かれます。
戸塚区と保土ケ谷区の境は、正に武相国境となっており道路を隔て住居表示が異なる光景が見られます。このことを良く表しているのが旧東海道の境木に立つ「傍示杭(武相国境之木)」です。
武蔵国(江戸)を発った旅人は、ここより相模国へと入り改めて旅の始まりを感じたのではないでしょうか。この傍示杭(ぼうじくい)は境木の地名の由来と言われ、江戸時代の江戸名所図会にも描かれており、この絵を元に現在の位置に復元されたとのことです。
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