第104話 住民パワーが誕生させた東戸塚駅 とつか歴史探訪
JR横須賀線の正式区間である大船駅-久里浜駅の開業は明治22(1889)年に遡り、東京駅-横須賀駅を専用線路で結び、全線で電化運転を開始したのは昭和5(1930)年のことでした。
横浜-久里浜の駅間平均距離が約4kmに対し、戸塚-保土ヶ谷の距離は約9kmと長く、中間に駅を求めた沿線住民の要望で大正12(1923)年に「武蔵駅」の設置が決定されました。
しかし、同年の関東大震災とそれに続く恐慌、世界大戦などの影響で計画が頓挫。その後、再び住民運動が高まり、国鉄・自治体・政治家などへの度重なる陳情と交渉を経て、昭和55(1980)年10月に「東戸塚」と名を変えて営業を開始しました。多くの地元住民の強い要望から誕生した"請願駅"だったのです。誘致運動では10万5千人もの署名が集まったと言われます。隣の戸塚駅の開業から実に約100年を経ての悲願の新駅開業でした。
駅の設置にあたり、用地と建設費用は一切地元負担とする厳しい条件がありましたが、誘致運動の中心に立った当時の新一開発興行の社長福原政二郎氏(故人)は、駅の東西広場の用地及び鉄道敷地の約13000平方メートルと工事建設費30億円の内、25億円を提供しました(残りの5億円は神奈川県と横浜市が負担)。福原氏によるこの多大な貢献がなければ、駅の新設は更に先送りになっていたかも知れません。
1990年代から駅前再開発事業が進み、百貨店や大型ショッピングモールなどの商業施設が相次いで開業しました。東戸塚駅の1日平均乗車人数は、最多であった5万9千人(2018年)に比べ、最近では4万9千人(2022年)と減少していますが、横須賀線の単独駅では最多となっています。
|
<PR>