8月13日、ファイナルコンサートを開いた「クレシェンド」を21年指導した指揮者 太田 和男さん 並木在住 82歳
独自に創ったベルの響き
○…「こんなに楽しく棒を振ったことはない」。ミューザ川崎シンフォニーホールで開かれた最後の舞台に涙はなかった。「キレイに響くベルの音が最高で、ウキウキだった」と笑う。客席には教え子や教員仲間、札幌から駆け付けた兄弟、車いす姿の難病の妻ら。アンコールが終わると列ができ、懐かしい顔が見送ってくれた。「舞台を一番楽しんだのは僕だったね」
○…声楽を学び関東学院中学高校の音楽教師に。そんな折、ある演奏会で初めてハンドベルの音色を聞いた。「えもいえない美しい音。『これだ!』と思った」と振り返る。校長にかけあい、何とか40万円近くする3オクターブのハンドベルを米国の会社から購入。だが、肝心の音が響かない。「大変なものを買ってしまった」という思いで必死になった。教本も楽譜もなく指導者もいない中、音を響かせる試行錯誤が始まった。
○…苦難の末、手に入れた大きな音を響かせる関東学院の演奏は、当時の日本のハンドベル界では異端だった。1976年に初の全国大会が開かれるも、柔らかで優雅な音をスピーカーで流す他校から「関東は乱暴だ」と陰口を叩かれた。それでも「生の音で演奏するのが本来のベル」という哲学は曲げられない。生徒たちも「これが関東学院の音」と背中を押した。そんな中、当時の米国ハンドベル連盟の理事長と意気投合。ジョイントコンサートをやろうという話から、世界大会の構想が生まれた。82年に渡米し理事会で世界大会開催を提唱、その2年後に実現する。海外での評価が高まるにつれ、国内でも認められるようになった。
○…教員時代に始め、21年間活動を続けたクレシェンドのメンバーには関東学院の卒業生も多い。「3年ぐらいしか続かないと思っていたけど」とほほ笑む。このたび、目を悪くするなどの理由で、指揮棒を置く決意をした。「迷惑をかける前にやめないと。最後は大事だから」
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