金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第6回 悲運の武将・源範頼伝説 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会 本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
源範頼は、弟・義経とともに平家滅亡を果たして鎌倉幕府の成立に大きな貢献をした。しかし、兄・頼朝に謀反を疑われ、修善寺で誅殺された悲運の武将である。範頼の別荘が瀬ヶ崎辺りにあり、その邸宅内に薬師寺という持仏堂があった。その薬師寺に範頼の首が埋葬された。
薬師寺は寺前に移り薬王寺となったようで、薬王寺には範頼の位牌、念持仏とされる薬師如来が伝えられている。薬王寺では、毎年範頼の命日に追善供養が行われている。薬師寺の移転後、範頼の霊を弔うため、太寧寺が建立され、戦時中に片吹に移転した。太寧寺には範頼の墓と伝えられている五輪塔がある。その寺号は範頼の戒名に由来する。
実は、範頼は修善寺から横須賀の浦郷辺りに逃げのびて、洞窟に隠れていたとする説が伝わっている。このとき追手に追われた浜が「追浜」で、その追手を土地の漁師が鉈で切って範頼を助けたところが「鉈切」だという。しかし、逃走を観念した範頼は持仏堂の薬師寺で自刃した。金沢区・追浜・逗子には「蒲」や「蒲谷」姓が多い。これは、生まれ育った地名をとって蒲冠者と呼ばれた範頼が、助けてくれた村の人達に「蒲」の使用を許したことに由来する。
このように、金沢区には範頼に関する伝説が多く残っている。これも、中世において、鎌倉と金沢が強く結びついていた証であろう。
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