神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS

金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第6回 悲運の武将・源範頼伝説 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会 本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る

公開:2017年6月22日

  • LINE
  • hatena
太寧寺にある伝源範頼の墓(片吹)
太寧寺にある伝源範頼の墓(片吹)

 源範頼は、弟・義経とともに平家滅亡を果たして鎌倉幕府の成立に大きな貢献をした。しかし、兄・頼朝に謀反を疑われ、修善寺で誅殺された悲運の武将である。範頼の別荘が瀬ヶ崎辺りにあり、その邸宅内に薬師寺という持仏堂があった。その薬師寺に範頼の首が埋葬された。

 薬師寺は寺前に移り薬王寺となったようで、薬王寺には範頼の位牌、念持仏とされる薬師如来が伝えられている。薬王寺では、毎年範頼の命日に追善供養が行われている。薬師寺の移転後、範頼の霊を弔うため、太寧寺が建立され、戦時中に片吹に移転した。太寧寺には範頼の墓と伝えられている五輪塔がある。その寺号は範頼の戒名に由来する。

 実は、範頼は修善寺から横須賀の浦郷辺りに逃げのびて、洞窟に隠れていたとする説が伝わっている。このとき追手に追われた浜が「追浜」で、その追手を土地の漁師が鉈で切って範頼を助けたところが「鉈切」だという。しかし、逃走を観念した範頼は持仏堂の薬師寺で自刃した。金沢区・追浜・逗子には「蒲」や「蒲谷」姓が多い。これは、生まれ育った地名をとって蒲冠者と呼ばれた範頼が、助けてくれた村の人達に「蒲」の使用を許したことに由来する。

 このように、金沢区には範頼に関する伝説が多く残っている。これも、中世において、鎌倉と金沢が強く結びついていた証であろう。
 

〈神奈川県後期高齢者広域医療連合からお知らせ〉

【75歳以上の方が対象】いざ、健康診査へ!今こそ自分の身体を見つめなおす時

https://www.union.kanagawa.lg.jp/1000011/1000645.html

<PR>

金沢区・磯子区版のコラム最新6

ノーベル平和賞受賞 日本被団協事務局次長・和田征子さん「被爆者の言葉が核抑止に」

赤レンガの洋館「馬車道十番館」で文明開化気分に浸る

横浜ほっこり純喫茶【2】

赤レンガの洋館「馬車道十番館」で文明開化気分に浸る

本紙記者のひと息時間

10月19日

CS目指す新シーズン開幕へ

横浜ビー・コルセアーズ

CS目指す新シーズン開幕へ

9月26日

女優・五大路子さん「横浜は宝の宝庫、もっと掘り下げたい」

横浜「注目の人」インタビュー

女優・五大路子さん「横浜は宝の宝庫、もっと掘り下げたい」

舞台生活50周年、横浜夢座25周年

9月13日

横浜最古の寺 南区 弘明寺

御朱印探訪【1】

横浜最古の寺 南区 弘明寺

記者の参拝レポート

8月31日

河村選手らが小学生と交流

横浜ビー・コルセアーズ

河村選手らが小学生と交流

8月29日

あっとほーむデスク

  • 10月24日0:00更新

  • 10月17日0:00更新

  • 9月26日0:00更新

金沢区・磯子区版のあっとほーむデスク一覧へ

イベント一覧へ

コラム一覧へ

金沢区・磯子区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年10月30日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook