今年4月から横浜市金沢区遺族会の会長を務める田野井信行さん(73/六浦在住)は、父親を戦争で失った。終戦後の1945年11月21日、中国の漢口(かんこう)で戦病死したのだ。田野井さんは当時3歳。「父親の記憶はないねぇ」とつぶやく。残された母親は女手ひとつで5人の子どもを育て上げた。「ほとんど父親のことは話さなかった気丈な人。でも優しかった」と目を細める。片親の引け目は感じなかったが、クリスマスイブにケーキが無いのは、消えない記憶だ。「母親の給料日が25日だったから買えなかったんだ」
5年ほど前、慰霊参拝のツアーに参加し、漢口を訪れた。日本に持ち帰ったのは現地の水や空気。3人の兄に分け、父親の墓にもまいた。「少しは供養ができたと思う。区切りができたかな」と話す。
田野井さんは遺族会主催のパネル展で、2年ほど前から戦没者の個人パネルを作っている。手元にある情報からインターネットなどを駆使して遺族でさえ知らない戦地での動きを調べ上げる。「亡くなった方のお披露目になればという気持ちでやっている。会員との距離も縮まるんです」とにこやかに話す。
遺族会の役割は「戦没者の慰霊」と「恒久平和への働きかけ」。パネル展の開催や語り部活動、追悼式典、遺族通信はその役割を果たすための活動と位置付ける。「会員はみな、ボランティア感覚ではなく、使命感を持って自主的に行っている」と胸をはる。
太平洋戦争の戦没者はおよそ310万人。その死を悼む遺族は何倍も存在する。愛する者を戦争で失った悲しみこそ、日本の平和の礎なのかもしれない。
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