初春の令月(よきつき)にして、氣淑(きよ)く風和ぎて、梅は鏡前の粉(よそほ)ひを披(ひら)き、蘭は珮後の香りを薫(かを)しぬ――。新元号「令和」の由来となった『万葉集』ゆかりの地や作品が全国で注目を集めている。その一つが万葉集をこよなく愛した画家、大亦観風(おおまたかんぷう)の作品『大宰府梅花宴の歌』だ。
「令和と聞いてすぐ万葉集だと分かった。何度も父の作品をみて記憶していた。作品が展示され、使われ、またこんなに注目されるとは思わなかった」と話すのは栄区柏陽在住で大亦観風の長男、大亦博彦さん(85歳)と美保子さん(80歳)夫婦。
大亦観風は1894(明治27)年に和歌山県和歌山市の油問屋を営む家庭に生まれた。故郷で洋画を学び、1913(大正2)年に画家をめざして上京。その後は日本画へ転向し、独自の画風を切り拓いてきた。歌人として自らも歌を詠み、後に『万葉を描いた画家』として知られるようになった。
代表作として知られるのが、和歌に造詣の深い観風ならではの『万葉集画撰』全71図だ。万葉集から71場面を選び、明るい色彩と独自の軽妙な筆づかいで万葉歌の情景を表現している。
71図を所蔵する奈良県立万葉文化館で現在開催中の改元記念特別企画では、「令和」のルーツになった梅花の宴を描いた『大宰府梅花宴の歌』が展示されている。
父・観風との思い出
「画室に入ったことがなく、父が絵を描く姿を見たことがない。完成するとよく見せてくれた」と博彦さん。父・観風は万葉集の舞台となった地へ度々足を運んではスケッチを描き、文献をよく調べていたという。
「疎開していた時、笛吹川のほとりで父と一緒に食べたおにぎりが忘れられない。これが最後かもしれないと思っていた」。観風は博彦さんが中学1年の時、53歳の若さで胃がんのため亡くなった。
博彦さんと美保子さんは「今回の新元号『令和』は不思議な感じがする。いろいろな人のおかげで父の作品が忘れられることなく、今までつながってきた。それだけ魅力のある絵だったと思う」と画集を手に嬉しさをかみしめていた。
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