本牧 気まぐれ歴史散歩 【19】 華僑の人々が眠る外国人墓地 中華義荘
中華義荘は根岸森林公園から少し歩いたところにあります。横浜にある4つの外国人墓地の1つで、華僑の人々が眠る墓地です。横浜が開港場になると、当時の欧米列強国の通訳や使用人などとして多くの華僑の人々が来日しました。語学力やビジネススキルが高かった華僑の人々は、やがて欧米人から独立し、事業で成功をおさめる人も現れました。
外国人が亡くなると、みな山手外国人墓地に埋葬されましたが、居留地に住む外国人のうち半数以上は華僑の人々でした。また、当時の華僑の人々には外国で死亡すると現地では棺に納めて仮埋葬し、その後、生誕の地に棺を届け、改めて埋葬する習慣がありました。落ち葉が根元に帰るように、人間も死んだら故郷に帰るという「落葉帰根」という思想からです。
こうして、明治6(1873)年に華僑専用の墓地、中華義荘が設けられました。明治11(1878)年に80余棺を本国に届けたとの記録も残されており、関東大震災前まで続けられていたようです。中華義荘には先祖の霊を地蔵菩薩と祀るために地蔵王廟という廟があります。当時の華僑の商人たちの募金により、明治25(1892)年に建立されました。震災・空襲の難を免れた、横浜市域で最も古い近代建築物です。中には金色に輝く地蔵王菩薩坐像が安置されています。(参考文献:岸上興一郎著『海港場横浜の民俗文化』)
次回も根岸森林公園の東の路地をゆっくり歩いていきたいと思います。
(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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地元奉仕団体 新会長の横顔 Vol.710月17日 |