本牧 気まぐれ歴史散歩 【21】 開港場ならではの貴重な墓石
横浜が開港場となり多くの外国人が暮らすようになると、教会が建てられていきましたが、維新後も日本人へのキリスト教布教は禁止のままでした。明治6(1873)年までは町に「切支丹禁制」の高札も立っていました。日本で信教の自由が公式に認められたのは明治17(1884)年のことで、いわゆる不平等条約の改正を目指すための一環でした。
石川町駅からひらがな商店街経由で左折し地蔵坂を登ると、坂を登りきる手前に蓮光寺があります。ここは作家の吉川英治の一族の菩提寺であったことでも知られていますが、ここには開港場ならではの珍しい貴重な墓石が残されていることでも知られています。
下岡蓮杖は日本初期の写真家として数々の秀作を残していますが、蓮光寺には和風でありながら十字架も描かれている蓮杖の妻・美津の墓石が残されています。ヘボンをはじめ多くの外国人と親交があった蓮杖夫妻ならではのものでしょう。また本堂裏にはフランス語の洗礼名と戒名が記された墓石があります。この家族は宗門改により蓮光寺の檀家でありながら、キリスト教の洗礼を受け教会にも通っていたのかもしれません。開港後もまだ公式には信仰が認められていないキリスト教を信仰しながら、蓮光寺に我が子を埋葬するために開港場に住む人の苦心が感じられる、開港場ならではのとても貴重な墓石です。
次回は、地蔵坂上の交差点から外国人遊歩道をゆっくりおりていこうと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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地元奉仕団体 新会長の横顔 Vol.710月17日 |