本牧 気まぐれ歴史散歩 28 大和町商店街 射撃練習場だったまっすぐな道
幕末から明治前期にかけて、大和町商店街が日本に駐留する外国軍の射撃練習場だったことは、ご存じの方も多いと思います。開港場から近く、左右の丘に囲まれたまっすぐで細長い谷戸は、外国軍にとって射撃練習をする格好の場所だったことは、現在でも想像できます。明治初期からは、日本軍もこの場所を射撃練習場として使用していたようです。
生麦事件・薩英戦争を機に英仏蘭米4か国と結ばれた「横濱居留地覚書」によって、本牧・根岸にさまざまな外国人のための施設が造られたことは先のコラムでご紹介いたしましたとおりですが、この射撃練習場もその1つです。幕府は水田として使用していたこの谷戸を根岸村から借り上げ、外国軍に提供しました。根岸村が射撃の練習時期や補償の対象となる水田の範囲の見直しなどを幕府に要求した話や、冬場になると水田に氷を張ってリンクを作り、外国人に有料でスケート場を提供していたという話も残っています。
戦闘や狩猟の目的で行っていた射撃が、18世紀には欧州では既にスポーツ競技となっており、五輪でも明治29(1896)年開催の第1回アテネ大会から競技として行われていますが、根岸ではそれよりもっと前から射撃大会が盛んに行われていたのです。次回は、大和町商店街から本牧通りへ戻り、まっすぐな長い道が並んで伸びる町の方へ向かって歩きたいと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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