横浜ドリームランドが復活したらしい―。「え?それってあのドリームランド?」。この名前を聞いて胸が高まるハマッ子は、記者だけではないはずだ。聞けば同名の”横丁”が野毛にオープンしたという。あの遊園地と関係があるのだろうか…。野毛に急行した。
どこか懐かしいネーミング
10月15日にオープンした「横浜ドリームランド」=中区花咲町=は、横丁としては珍しい2階建ての吹き抜けで、野毛の人気店8店が連なる。店内のマップには、さり気なくドリちゃんとランちゃん=上記タイトル横参照=のイラストも!
運営するのは、居酒屋「はなたれ」など横浜・都内に20店舗以上の飲食店を持つ(株)FirstDrop=神奈川区。野毛一番街・五番街に続き同社3つ目の横丁出店にあたり、代表の平尾謙太郎さんは「『自分と同年代の40〜50代が懐かしく思う名前ってなんだろう』と考えた時、ふと小さい頃家族と行ったドリームランドが浮かびました」と名付けの経緯を話す。
本家のドリームランドとは直接関係ない施設だが、名前のインパクトは絶大だった。「ドリームランド懐かしい」「兵隊の衣装を着ている人はいないの?」と続々とコメントが寄せられ、SNS上でも大きな話題に。同社広報の村上知さんは「コロナ禍でも明るく笑顔で飲める空間を作りたかった。大人になった人たちに『ドリームランドに集合ね』と言ってもらえたら嬉しい」と話す。
今なお愛され続ける「夢の国」
横浜ドリームランドは1964年に戸塚区にオープン。夏はプール、冬はスケート場、日本初の一回転コースターやゴンドラが揺れる観覧車など多くのアトラクションや五重塔をイメージした「ホテルエンパイア」など人気を集めたが、新しい時代の波に押され、2002年2月、37年間の歴史に幕を閉じた。
当時の施設の紹介や資料保存を行うサイト「横浜ドリームランドファンクラブ」を運営するtacco(タコ)さんは、閉園から約20年が経った今「人々の記憶や記録サイトが消えゆく中、ドリームランドを思い出す場所ができたのは良いと思う」と横丁のオープンを歓迎する。
女優・五大路子さん=港北区=もドリームランドを愛する一人だ。「潜水艦」が一番好きだったといい「本当に子どもたちにとって『夢の国』でした」と振り返る。主宰する横浜夢座では、2013年にドリームランドを題材にした舞台を公演。黄色の衣装で『学園天国』を歌いながらアトラクションを操作する名物従業員「ヘイヘイおじさん」こと新井俊次さん=戸塚区=も、本人役として舞台に出演した。
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ドリームランドを誰よりも愛し、皆を楽しませた「ヘイヘイおじさん」は今年4月17日、80歳で逝去した。折しも横丁のオープンや五大さんが当時の公演を動画サイトにアップしようと考えた時期と重なる。「ドリームランドのことを忘れないで」。そんなおじさんからのメッセージなのかもしれない、と思った。
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