本牧 気まぐれ歴史散歩 59 『新しい花と緑の文化が始まった町』 山元町から地蔵坂あたり
新しいと言っても幕末・明治期の話ですが、山元町から地蔵坂には園芸業者が軒を連ねていました。居留地に住む外国人の庭の手入れや、日本の植物の輸出、海外の植物の輸入のため、開港場となった横浜へ植木職人たちが集まってきたことが始まりのようです。
長崎にいたシーボルトが採取して海外に紹介した日本の植物は、横浜開港前から世界の注目の的となりました。ペリー艦隊も来航時に植物学者を同行して植物を採取し、横浜開港後はプラントハンターと呼ばれる植物収集のプロが次々と来浜しました。
横浜は、日本と世界の植物が一堂に集まり当時の最先端の花と緑の文化が交流する町となりました。ワシントンDCに桜並木を作ったことでも有名なシドモアも、著書の中で山元町から地蔵坂で集落を作っていた園芸業者の様子を紹介しています。現在もその頃から操業している業者があり、横浜の花と緑の文化を今へ受け継いでいます。
海外から輸入される植物も横浜から日本中に流通していきましたが、それは同時に日本に無い病害虫を広める危険も伴っていました。大正3(1914)年には、横浜に日本初の植物防疫所が設けられました。現在も横浜港には植物防疫所が、地蔵坂上には最先端の知識や技術を学ぶ植物防疫官研修施設があり、日本を危険から守り続けています。
次回も、このまま山手の丘を歩いていきたいと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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