本牧 気まぐれ歴史散歩 88 『埋立記念碑』
東京湾の海底には、およそ2万年前に東京湾が陸地であった時代に形成された古東京川と呼ばれる海底渓谷があります。現在の南本牧ふ頭の地先あたりから渓谷が深くなり、浦賀水道まで繋がっています。大型船舶は現在も水深が十分な古東京川の上を航行しています。東京湾に注ぐ川からもたらされる森林の栄養分も、古東京川沿いに運ばれてきます。
本牧には、現在は南本牧ふ頭の土台となった浅瀬の岩礁帯があり、たくさんの海藻が茂っていました。また、その両脇には広くて遠浅な砂浜が広がっていました。本牧の海は栄養分も豊富で、たくさんの魚介類が暮らすことが出来る最良な環境が整っていました。
江戸時代になると、江戸の人口が急増したため、急速に魚介類の需要が増えました。本牧からも江戸へたくさんの魚介類を出荷するようになり、漁業が産業となりました。明治末になると海苔の養殖方法が確立されたことで、本牧でも海苔養殖が始まりました。本牧の海は海苔養殖にも最適な環境だったので本牧産の海苔は最上級品として販売されました。
しかし、戦後の経済復興のため、東京湾沿岸は次々に埋め立てられ、巨大なコンビナートと物流拠点になりました。漁師たちは子孫繁栄のためにと、海の埋め立てに合意しました。この記念碑には、当時の漁師たちの心の声が刻まれています。
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