本牧 気まぐれ歴史散歩 81 新町 舟小屋の碑と幟旗
江戸時代、本牧本郷村の中には6つの村がありました。江戸の人口が増えると江戸内湾に面した原・牛込・間門の各村では漁業が盛んとなり、葛飾北斎作『神奈川沖浪裏』にも描かれている押送船で魚介類を江戸に出荷しました。本牧岬にあった牛込村の人口も増加し、いつしか牛込村の北側を「新町」、南側を「八王子」と呼ぶようになりました。
お馬流しの祭礼船は戦前には4艘ありましたが、昭和20年5月29日の横浜大空襲で原村の祭礼船2艘が焼失しました。戦後、本牧の広い地域が米海軍住宅として接収され、本牧十二天にあった本牧神社も本牧二丁目に仮遷座せざるを得なくなりました。新町の氏子は、本牧漁港そばの土地を神社に寄進して、焼失を免れた牛込村の2艘の祭礼船を保管するための舟小屋を建てました。本牧地先が埋め立てられ、祭礼船が櫓で漕ぐ和船からエンジン付きの漁船に交代した後も、新町の氏子たちは舟小屋と祭礼船を守り、お馬流しが行われる日には保管している祭礼船を飾り、現役のときの姿を披露し続けてきました。
時が過ぎ、舟小屋は失われましたが、新町氏子により跡地には碑が建てられました。そして、今もお馬流しが始まる時期には、新町氏子が総出で舟小屋跡地に大きな幟旗を建て、そこがかつては浜辺で、そこから祭礼船が出航していた歴史と伝統を受け継いでいます。
次回は、舟小屋の碑から本牧元町の交差点へと向かってまいります。
(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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