中国残留邦人問題に関わり、多くの家族の手助けを行った 金子 みち代さん 井土ヶ谷下町在住 90歳
残留邦人の「母さん」として
○…第二次世界大戦末期に起こった中国残留邦人問題に関わり、身元引受人や、所沢にある「中国帰国者・定住促進センター」で日本語や礼儀作法などを教えた。1989年から2003年まで9家族、29人を受け入れた。引き受けた人たちからは「母さん」と呼ばれ、頼られていた。「神奈川県中国帰国者福祉援護協会」へも加盟。年2回の集会で残留邦人への理解と支援を求めた。「子どもが独り立ちをし、何か人の役に立つことをしたかった」と話し、「偶然見ていたテレビ番組で孤児の身元引受人が紹介されており、県や市役所に問い合わせた」と振り返る。
○…東京都で生まれる。都内の女学院に通ったが、2年ほど経った1945年、東京大空襲に見舞われる。「空襲の時には父と多摩川沿いを逃げた。周りも暗く、どこを歩いているのかも分からなかったが、とにかく歩き続けたことを覚えている」と振り返る。
○…残留邦人は中国の生活文化に慣れているため、洗濯や掃除洗剤の選び方、学校へ学生服を着て通学することなど、全てが初めて。親が中国人であるためにいじめを危惧した母親に代わり、運動会へ弁当を届けたこともある。「もめごとや文化の違いから大変なこともたくさんあったが、面倒を見た人たちが社会に出て活躍している姿を見るととても嬉しい」と笑顔。敬老の日には2世の子どもが花束を持って家を訪ねて来ることもある。
○…支援は残留邦人に対してだけではない。東日本大震災の際には、被災地である気仙沼大島に住む知人と文通を重ね、支援物資を送った。「一人の力では何もできないが、痛みも喜びもみんなで分かち合っていくことが大切。自分の器を大切にすれば良い」と、困難を抱える多くの人たちを見守り続ける。
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