〈連載〉さすらいヨコハマ㉒ 原節子の悲劇 大衆文化評論家 指田 文夫
昨年12月に女優の原節子が亡くなられてもう1年になる。まことに時の経つのは早い。年をとると、家族をはじめ、自分以外のことに費やす時間が多くなり、その反動で自分の時間が少なくなるので、結果として時の経つのが早く感じられるのだと思う。
さて、なぜ原節子が41歳と若くして映画界から引退したのだろうか。謎を解くカギは、彼女の実兄・会田吉男の事故死にあった。
1953年7月、義兄・熊谷久虎の監督で『白魚』が作られた。御殿場駅での撮影中、疾走してきたSLに跳ね飛ばされてカメラマン・会田吉男は死んでしまう。これは線路上に45度の角度で鏡を置き、線路外から撮影すれば容易に防げた事故だった。翌月、原節子は小津安二郎の『東京物語』のカメラの前に立った。その後、亡兄の家族を援助するため、彼女は映画に出て、それも終わった1962年に引退したようである。
(文中敬称略)
|
|
|
|
|
|