1923年9月1日に発生した関東大震災の被災者が書いた日記などから、横浜や南区の被害を知る講演会が6月24日、蒔田町の「旅館松島」で行われた。講演会は蒔田の吉良歴史研究会が主催し、約20人が参加。
講演会は横浜都市発展記念館主任調査研究員の吉田律人さんが講師を務めた。吉田さんは都市史や災害史に詳しく、関東大震災の被災体験記から災害の状況を解説した。
吉田さんはまず、関東大震災が東京の震災と思われがちな点に触れ、「横浜は震源域の直上に位置し、約2万6千人が犠牲になった。人口に対する割合は、東京よりも高い」と説明した。
火災で帰宅困難
続けて震災時に神奈川新聞の前身である「横浜貿易新報」の記者だった山本和久三の体験記を紹介。蒔田町に住んでいた山本は、現在の桜木町駅付近で大地震に遭遇。余震が続き、各所で火災が発生する中、自らの命を守ろうと、帰宅を決意。横浜市電なら20分の道のりも、線路は崩壊し、悪路やがれきを避けながら走り、約2時間半かかったことが記されていた。ほかにも2人の体験記を紹介し、地震から時間が経つに連れて火災が広がり、山の上を通って避難した人が多かったことを説明した。ほかに、地震によって多くの建物が倒壊し、消防や行政機能がまひして市民の救援が遅れたことも紹介された。
これらの史実から吉田さんは「現在と技術や環境は異なるが、水道消火栓が機能不全に陥るなどの事実は覚えておくべき」とし、「同じ失敗を繰り返さないためにも、歴史を学ぶことは重要」と訴えた。
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