育生会横浜病院の院長に4月から就いた 長堀 優さん 狩場町在勤 56歳
医師の在り方 日々模索
○…「寄り添い支える『ケア』という考え方がとても大事な時代だと強く感じているんです」。人類が経験したことがない超高齢化時代を迎え、「ケアの充実」を医療の柱と考える。「大切なのは患者さんがいかに自分らしく、どのように生涯を全うできるか」。多くの患者やその家族と接する中で「死は医療の敗北とされていた」若い頃には思いも及ばなかったというこの境地にたどり着いた。この春、院長に就いた狩場町の丘に建つこの病院で、医師人生を全うする。
○…水産庁の調査船に船医として半年間、乗船した体験をもとに綴った北杜夫のエッセイ「どくとるマンボウ航海記」。少年時代に出会ったこの1冊が医療人人生への玄関口だった。当時は「海外への憧れ」を抱いたが、「いまとなれば船医の外科的な仕事ぶりに無意識のうちに憧れていたのかもしれない」と回顧する。群馬大医学部を卒業し、研修医を経て横浜市大付属病院に入局。外科医として最先端医療の研鑽を積んだ。
○…医師として緊張感に包まれた時間を過ごす日々。オン、オフの切り替えに重きを置き、友人と過ごすワインバー巡りは癒しの時間のひとつ。若い頃は「日本酒党」だったが、42歳の時、尿管結石を患ったことを機に医師の指導で「ワイン党」に路線変更した。週2度のジョギングも無になれる時間。「呼吸に集中して一種の瞑想に近いのかも」。ゆっくりと目をつむった。
○…30歳代前半に体験したがん患者とのやり取りが忘れられない。自身の体が蝕まれていることを知らないはずのその患者が、栁田邦男の著書「『死の医学』への序章」を柔らかい笑みを浮かべながら差し出した。「『先生、分かってますよ。旅立つ準備はできてますから』――。そう言われているようだった」。医療人としての在り方を模索し続けた医師人生。たどり着いた理想「寄り添い支える医療」を実現させる新たな舞台に立った。
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