保土ケ谷小学校=小川克之校長・児童数278人=が創立150年を迎えた。明治6年、2つの教室・児童数88人から始まった同校。150年で2万人を超える卒業生を輩出した。その間、学校は校舎火災や月見台から神戸町への移転などを経験。形や場所が変わっても、卒業生を中心とした地域の想いに支えられている。
火災から守った重要書類
80歳以上の卒業生に保土ケ谷小の思い出を聞くと、必ず出てくるのが1954(昭和29)年の大火災。日曜日だった3月21日の昼間、校舎内を火元に火災が発生。12教室が焼ける被害があった。
当時の校舎の近くで今でも店舗を営むキク薬局の山方正枝さん(83)はその時中学生。学校から持ち出された重要書類を一時的に店舗兼自宅で預かったのを覚えているという。「非常持ち出し袋に入ったままの書類を何度も分けて持ってきていた。先生たちも慌てた様子だった」と振り返る。
帷子町一丁目町内会会長の西徹男さん(79)は当時小学5年生に進級する直前。「自分は風邪で寝込んでいたけれど、父親も含めて大人たちはみんな消火の手伝いに行っていたよ」と話す。火災の翌年には鉄筋コンクリート造の新棟が完成。「新しい校舎で勉強したのは自分たち6年生だけ。きれいな校舎だと思ったのを覚えている」と当時に思いを馳せた。
タイムカプセルを「救出」
開校以来長らく現在の保土ケ谷駅周辺にあった校舎は2000年、横浜ビジネスパーク近くの神戸町に移転する。
月見台の旧校舎は取り壊され更地となった。この時、行政に対してアクションを起こしたのが1996年度卒業生の志田健一さん(38)だった。
志田さんは在学中、学校の記念誌に書かれた「1982(昭和57)年学校創立110周年 タイムカプセルを埋めた。20年後に開封予定」との一節をもとに、タイムカプセルのありかを独自調査。場所の目星を付けていた。
学校移転にあたり、このままではタイムカプセルが永遠に封印されてしまうと考えた当時高校生の志田さんは、タイムカプセルの開封予定とその保護を要望するメールを保土ケ谷区に提出。学校側も存在を認識していなかった20年前の在校生の思いは無事、2002年に開封された。それから20年経った現在も、タイムカプセルは校内に保管されている。
「大きな役目を果たせたと胸がいっぱいになりました」と語る志田さん。この出来事をきっかけに、志田さんは街づくりエージェントを標榜するNPO法人を創設するなど、保土ケ谷区内外での社会活動を継続。幼き日の学校での経験が、自身の活動の糧となっている。
![]() 1954年の火災と、当時書類を預かった山方さん
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![]() 無事開封されたタイムカプセルは今も同校内に
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