日蓮宗樹源寺 権住職 日比 宣仁(ヒビ センジン) 連載45 法話箋 〜鹿苑〜 「世界平和について」
世界平和は誰しもが願うことです。しかし、世界全体が平和になると、平和という概念自体はなくなるのではないでしょうか。それは、平和と戦争は相待(そうたい)(=相対)的であり、戦争がなければ平和も同時になくなるからです。右があるから左があるということと同じで、右がなければ左は成立しません。例えば、二つの茶碗が並んでいるとします。私たちはそれらを「右の茶碗」、「左の茶碗」と呼ぶでしょう。しかし、片方が誰かの手によって取り除かれた時、そこに「右の茶碗」・「左の茶碗」という呼び名はなくなります。このように、全てのものはそれとは相反する概念と相待して存在しています。平和の中には戦争が含意されているのです。但し、私たちが目指すべきはそういった相待的な平和ではなく、相反するもの同士が互いを認め、自らが反対概念のお陰で成立していることを容認し、そこに調和を見出すことであると思います。そこには絶対的な平和の世界が開けるでしょう。
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