日蓮宗樹源寺 権住職 日比(ヒビ)宣仁(センジン) 連載36 法話箋 〜鹿苑〜 法器
器の大きな人間になることは誰しもが望むことです。器の大きな人間のことを仏教では法器(ほうき)と呼びます。法器になるためにはそれなりの苦労が必要です。苦難に耐え、周囲を憎まず、目の前にあることに一心不乱に取り組む。しかし、やはり社会や環境は味方をしてくれない。すると、人は自分自身の「在り方」について考察します。「自分」はどのような生き方をすべきなのだろう。一心不乱に物事に取り組んでいる時の自分は、結局自分のことしか考えていないのか、と。その時、人は自分の身近な存在、家族や友達、自分自身の健康な体への感謝が足りないことに気付きます。お金を稼ぐことは生きる上で欠かせません。しかし、それ以前に、働ける体はそれを支えている人々の存在、自分の根本である親や先祖があってこその身体です。以上の経験を通してこのことを知った時、その人は法器となります。法器はいかなる苦悩がその身に降りかかっても幸福を実感し続けるでしょう。
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