日蓮宗樹源寺 権住職 日比(ヒビ)宣仁(センジン) 連載40 法話箋 〜鹿苑〜 「具足戒と大乗戒」
釈迦は仏教教団の修行に適した環境を保つために、戒律(教団規則)を説きました。その数は比丘(びく)(男性出家者)が二五〇戒、比丘尼(びくに)(女性出家者)は三四八戒(『四分律(しぶんりつ)』による)です。出家者が持(たも)つ戒を具足戒(ぐそくかい)(小乗戒)と呼びます。しかし、具足戒の内容の大半は熱帯の印度(いんど)特有であり(朝お布施された食べ物はすぐに腐るので午前中に食べることといった決まり等(など))、必ずしも印度以外の地域に適応するものではありませんでした。故に、中国・日本に戒律が伝わるに伴い、それは変容します。その最たる事例は最澄(七六六〜八二二)による大乗戒壇独立(だいじょうかいだんどくりつ)でしょう。最澄は日本人には細かい内容の具足戒は合わないとし、大乗戒(だいじょうかい)(細かい規則ではなく、周囲との調和を尊重する「心」に重きを置く大乗仏教思想に基づく戒)こそが、日本仏教の戒に相応しいと考えたのです。これを契機に、良くも悪くも日本仏教では肉食妻帯(にくじきさいたい)を容認し得る独自の風潮ができたのです。
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