日蓮宗樹源寺 権住職 日比(ヒビ)宣仁(センジン) 連載41 法話箋 〜鹿苑〜 「難儀な修行」
自分や自分の家族が害されれば、加害者を恨み、憎むのは当然です。人間は保身を優先するので、憎悪心(ぞうおしん)は自己防衛のために起こるのでしょう。しかし、仏教は「そういった方法では何も解決しない」と説きます。例えば、新羅(しらぎ)の僧である太賢(たいけん)(八世紀)が記した『梵網経古迹記(ぼんもうきょうこしゃくき)』巻下末(大正四〇・七一二頁中)には、「怨(おん)を以て怨に報いるは、草で火を滅するが如し。……慈悲(じひ)の心を以て怨に報いるは、水で火を滅するが如し」とあります。人から嫌なことをされ、それに対して怨みの心で応ずることは、燃え盛る火を草で叩いて消そうとするようなものです。火を草で叩けば、草に火が移り、かえって炎の力は増します。しかし、慈しみの心をもって好ましくない他者に接すると、それは火を水で消すようなものであり、いつしか「好ましくない」という考えも消え去り、穏やかな心持ちになることができるそうです。しかし、これはなかなか難儀(なんぎ)なことでしょう。
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