日蓮宗樹源寺 権住職 日比(ヒビ)宣仁(センジン) 連載42 法話箋 〜鹿苑〜 「相対的な事物(じぶつ)」
世の中の事物は常に相対的であり、そのもの自体の概念は固定できるものではありません。例えば、「青い海」と聞いた場合、南国の青い海を見て育った人が連想するものと、鎌倉の黒色に近い海の側(そば)で暮らしている人が想像するものは、別物でしょう。つまり、「青い海」の概念は固定して考えることができないということです。同様に、人生の苦難や困難も、固定的に考えるべきではなく、相対的に考えるべきであると思います。但(ただ)し、相対的に考えるとは、「紛争地帯の貧しい子供たちに比べれば、私の苦難など大したものではない」という考え方ではありません。それは単なる比較です。そもそも、苦難に対する認識は心によってなされます。すなわち、目の前にある苦難は、心の状態に相対しているのです。例えば、海で遭難した時、一緒にいる相手が嫌いな上司である場合と、思(おも)い人(びと)(心に思う人)である場合とでは、その苦難の感じ方は雲泥の差でしょう。
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