戦後最大級の161人の犠牲者を出した「鶴見事故」の発生から50年となる11月9日、大本山總持寺で慰霊会が行われた。
慰霊会は、事故で父・義一さん(当時28)を亡くした遺族の一人で、事故当時1歳だった武井浩さん(茨城県在住・51)が個人で主催。JR東日本の社員のほか、地域住民、元国鉄職員らが参加した。僧侶約80人による法要が営まれたあと、武井さんが持参した犠牲者の数と同じ161本の竹あかりで冥福を祈った。
「犠牲の上に安全」
犠牲者は当時20代の若者が多かった。そのため、遺族となったのは、ほとんどが親世代。大きな法要も85年の23回忌で終了しており、昨年、50回忌を機に行われたのみだった。武井さんは「遺族も少なくなった。亡くなった人たちに灯りを見てほしいと思った」と一人で慰霊会を企画した。
事故から50年。「長かった」と武井さん。事故と正面から向き合えたのは、昨年の法要がきっかけだった。最後に「161本を見ると多くの人が亡くなったと感じる。事故以降、JR東日本では大事故は起きていない。犠牲の上に、今の鉄道の安全があるということを忘れてほしくない」と声をつまらせ、あいさつした。
「鶴見事故」…1963年11月9日、東海道本線鶴見駅と新子安駅間の滝坂不動踏切付近で発生。先に脱線した東海道本線の下り貨物列車に、並行する横須賀線の上下旅客列車が衝突した多重事故。犠牲者は戦後2番目に多い161人で、負傷者120人。事故後、一時的に遺体が安置された總持寺では、僧侶が毎朝供養を行っている。
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