鶴見駅と新子安駅間の滝坂踏切付近で発生し、161人が犠牲となった鶴見事故。戦後最悪ともいわれる同事故を風化させまいと岸谷第四自治会(持丸留久会長)が11月9日、慰霊祭を行った。
鶴見事故は、1963年11月9日、午後9時40分ごろ、東海道線で脱線した下り貨物列車に上下旅客列車が衝突した多重事故。遺体は總持寺に運ばれ、住民は暗闇の中、血まみれになりながら救助活動を手伝った。
遺族によって建立された発生現場付近の慰霊塔には、JRと一部遺族が献花に訪れる。月日が経ち、地元の人でも存在を知らない人が増えたため、悲劇を後世に伝えようと3年前から地元主催で慰霊祭を行っている。
刻まれた傷
慰霊祭当日には事故で兄を亡くした吉田伸子さんの姿があった。「兄の同級生は鉄板が腿に刺さって亡くなって」と悲惨な状況を語る。「朝見送って帰ってくるか分からない。だから『いってらっしゃい』は必ず言うようにしている」。心に刻まれた傷は深い。持丸会長は「命の大切さを伝えていくことが住んでいる者の務め」と話した。
|
<PR>
鶴見区版のローカルニュース最新6件
|
|
神奈川県青少年交響楽団が12月22日に県立音楽堂で演奏会12月13日 |
|
|
|