東日本大震災の発生以降、被災地に様々な形で寄り添い、交流を深めた人たちもいる。災害医療支援チームとして、宮城県南三陸町を訪れた済生会横浜市東部病院の救命救急センター長・船曵知弘医師もその一人だ。「10年たった今からでも現地を訪れるべき」と語る船曵医師に話を聞いた。
船曵医師が被災地に派遣されたのは、震災から約2週間が経過した3月24日。東部病院が発災後に結成した災害医療支援チームの一員としてだった。14班にわたって続いたチームの第2班。津波の被害を受けた南三陸町にある総合スポーツ施設「平成の森」という避難所が拠点となった。
「主要道路は車で通れたが、そのほかはガレキの山」。被害が色濃く残る中、避難所内の一角に作った診療スペースで、避難者の不安や慢性疾患の対応、風邪の診察など、いわゆる通常診療をこなした。自宅にとどまる人には、訪問診察も行った。
「炊き出しも一緒に食べて、優しく寄り添うように接してくれた」。途方もないガレキの町を前に、今後も生活していく人と、3日で居なくなる人という大きな”違い”を感じる中、歓迎してくれた一人が渡部りえ子さんだった。「すごく良くしてくれて、救われた」
◇ ◇ ◇
3日間の縁が繋いだ10年
結局、船曵医師が派遣されたのは、その一回だけだった。
だが翌年、当時の人たちに会いたいと思った。被災地の移り変わりを見たい気持ちもあり、プライベートで訪問した。景色は変わらなかったが、再会した渡部さんは明るく迎えてくれた。
時には一人で、時には仲間と、子どもに被災地を見せたいと家族で訪れたこともあった。昨年はコロナ禍で訪問できなかったが、もう10回近くになる。
「たった3日のインパクトが強かったのかな」。支援する側だったが、逆に勇気づけられたあの時。「行くたびに元気になる」。だから行くのだという。
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「何をもって復興かわからないが、震災前と同じとするならば戻ることはないと思う」。それでも、新しくなった南三陸商店街の人たちの表情は、いきいきと感じる。
ニュースで見た光景が、今どうなっているのか。どういう努力をして復興してきたのか。「被災地に触れるために、今からでも行くべき」。船曳医師は、まっすぐに語る。コロナが落ち着いたら、また南三陸に行くつもりだ。
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