矢向・江ヶ崎・尻手の歴史資料室及び交流室を運営するNPO法人「史季の郷」が、新鶴見操車場の歴史や、まつわる周辺住民の話を盛り込んだ冊子『なつかしの新鶴見操車場』を作成した。
貴重な資料に
冊子は、史季の郷の「つながりクラブ」分科会の一つ、郷土史研究会のメンバーが編さん。3年前、操車場90周年を記念して実施した展示の資料などをもとにした。
メンバーによると、川崎市側にはまとめられているものが多いが、鶴見区側には少ないという。
今回は、鉄道史上の内容だけでなく、地域視点の歴史的位置づけもひも解きながら、住民の思い出話も盛り込むなど工夫。「SLの煙が洗濯物を汚す」「夜も動く操車場にびっくり」といった声を集めた。
また、操車場建設にともない移転した民家の買取価格のメモや、1978年の操車場配線略図も掲載。住民から写真も集めるなど、当時を語る貴重な資料となっている。
編集委員長を務めた間口健一さんは「線路があったことを知らない人も増えた。新しい方には知ってもらい、古い方には思い出も呼び起こしてもらえれば」と話す。
A4判52ページで500部作成。鶴見図書館や学校、矢向地区センターなどに配架されている。問い合わせは、NPO法人史季の郷・鴨志田潔さん【携帯電話】090・6545・3576。
日本三大の一つ
新鶴見操車場は、当時の輸送力拡大などを目的に、鶴見区の川崎市幸区にまたがる形で1929年に開設。貨車の行先を変更するための場所で、愛知の稲沢、大阪の吹田と並ぶ日本三大操車場の一つとされる。
最盛期には一日6千台の貨車を取り扱っていたが、高速道路の充実による自動車輸送拡大などを背景に、1984年に役目を終了した。
現在は一部を残し整備され、新鶴見小学校、汐田総合病院、島忠ホームズなどが建設され、史季の郷も跡地に立つ。
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