横浜市立鶴見小学校が11月18日、創立90周年を迎えた。戦前の1931年に芦穂崎尋常小学校として誕生し、長い歴史を紡いできた同校。当紙では、その歴史を振り返るとともに、児童らによる90周年記念事業について、三世代にわたり、鶴見小学校に通った家族の話を紹介する。
芦が茂る学校
創立当時の校舎は、木造2階建て。学校の周りには背の高さ以上の芦が茂っていた。校庭は満潮になると海の水が入り、冬には霜柱で高く盛り上がったという。
41年からの太平洋戦争時、鶴見区にも大型爆撃機が飛び、当時の児童は集団疎開。終戦後、疎開から戻った児童は空襲で校舎が焼けていたため、豊岡国民学校(現在の豊岡小学校)で勉強した。
1949年、地域や保護者の力で新校舎が完成。翌年にはプールや給食室もできた。53年には芦穂崎小学校から鶴見小学校へと校名を変更し、図書館や校旗、校歌などが次々に完成した。70年に鉄筋校舎(現在のA棟)が建ったのち、B棟、C棟も建設された。2016年には新校舎の東棟も完成し、今日の校舎に至った。
校章は三羽の鶴
鶴見小学校に名前が変わった53年、校章も変更。一般公募し、集まった96点の中から当時の鶴見小学校の教諭の作品「三羽の鶴をあしらった新しい校章」が選ばれた。三羽の折り鶴は、教師、児童、父母を表し、この3つが仲良く平和のために力を合わせていこうという姿が描かれている。校歌も56年に一般募集。「いつまでも平和を願い、理想と希望に燃えて励んでほしい」という思いが詰まった歌がいまに受け継がれている。
まちとつながる
昨年3月までの卒業生の数は8502人。その中には、学校周辺で商店を営む人も少なくない。
授業の中には以前から「まち探検」があり、地域との交流は深かった。最近では、総合の授業として、鶴見銀座商店街のマスコット「にじベルくん」の製作、障害福祉サービス事業所ふれんどで販売される弁当の企画、区役所での鶴見川の生き物展示など、まちから学び、アイデアを活かして還元する授業が積極的に行われている。
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