「土木事業者・吉田寅松」58 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略
莫大な富を築く
明治三十年代の吉田組は、岩城鉄道、官営八幡製作所建設のための八幡村海面埋立て・石垣工事、常磐炭田入山採炭鉱工事、常磐線、九州鉄道、関西鉄道、長崎線、舞鶴軍港、近江鉄道、京都鉄道、奥羽線、臨時台湾鉄道、北海道炭鉱鉄道、佐世保港埋築など、全国各地の土木工事を請け負っていた。最上川に築いた吉田堰は、庄内平野を美田に変えた。
吉田寅松の吉田組は、藤田伝次郎の藤田組、鹿島岩蔵の鹿島建設と肩を並べる土木請負業者として全国の大規模な土木工事をいくつも請負っていた。古今に類を見ない女傑と言われた妻の芳子は、満州に進出した軍隊内の酒舗を引き受け采配していた。莫大な富を築いていた寅松は、大倉財閥の大倉喜八郎に並ぶ五万円もの多額納税者になっていた。
寅松は、明治三十年には日清戦争時には戦役費一千円を献納し賞勲局から銀牌を、軍用品献納で賞状と木杯が下賜された。明治三十一年には、日本赤十字社東京支部に大倉喜八郎や安田善次郎、渋沢栄一らと同額の一千円を寄付し特別会員に列せられている。現在の貨幣価値に換算すれば一千五百万円から二千万円、多額の寄付である。
東洋のレセップス
吉田組が請負った工事は難工事が多かったが、損得抜きで、公共に資することを第一義に取り組む吉田寅松は、スエズ運河をしたフランスの実業家レセップスにもたとえられていた。
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