第24回日本知的障害者選手権水泳競技大会が6月に横浜国際プール=都筑区=で開かれ、神奈川区役所勤務の林田泰河さん(32)が男子平泳ぎ200mで優勝、同50mで3位に入賞した。リオデジャネイロに続く2大会連続のパラリンピック出場は逃したが、競技歴17年のベテランは国内大会での好成績で今後に弾みをつけた。
「気持ちが高ぶっていた」という200ⅿ平泳ぎでの大会出場は2年ぶり。2019年にオーストラリアで開催された世界大会でマークした自己ベストには2秒ほど及ばなかったが、2分33秒47で2位に6秒近い大差をつけた。
今の自分がどれほどのレベルなのかを確かめることができたレースだった。前半からベストラップに近いタイムで飛ばしたが、「最後の50mで疲れてしまった。スタミナや力の入れ具合の調整が不十分だったかな」と反省する。過去の大会と比べるとストローク数が一・二回多く、キックとプルのタイミングにも課題を残したという。
もがいたコロナ禍
2007年に知的障害者雇用枠で横浜市に採用された林田さんは、16年から神奈川区役所に勤務。高齢・障害支援課の介護保険担当として、郵送物の封詰めや資料の仕分けなどを行っている。「ストレスを抱えてしまうと夕方の練習が辛いこともあります」と両立の難しさを感じながらも、水泳と仕事は欠かすことのできない生活の一部になっている。
昨年はコロナ禍の影響で、大会出場はおろか練習拠点のプールにすら入れない日が3か月続いた。エアロバイクを購入したり、鶴見区の自宅から区役所まで片道40分の徒歩通勤に切り替えたりして体力維持に努めたが、「緊急事態宣言明けは、50mを泳いだだけで頭がくらくらしてしまった」とコンディションの維持に苦労したという。
忘れ得ぬリオの舞台
林田さんは、5年前のリオデジャネイロパラリンピックで100m平泳ぎ(知的障害)の日本代表に選ばれるなど、県勢の強豪選手だ。
初めて挑んだパラ五輪は7位に終わった。「決勝の舞台で自分の名前を呼ばれたいという一心でした。レース前はうれしさのあまり頭が真っ白でしたが、地響きのような歓声を体に浴びた感覚が今でも忘れられません」と回想する。
水泳帽の色からかわれ
喘息を抱えるなど病弱だった林田さんは、7歳の時に親の勧めで水泳を始めた。
漠然と続けていた練習に、目的意識を持って打ち込むようになったきっかけがある。同時期に入会した生徒は級を表す帽子の色が次々と変わっていったが、「私は2年経っても最下級のピンク色のまま。すると、バタフライが泳げるようになった同期から『お前まだピンク帽子なの』とからかわれたんです。それがすごく悔しくて」
貪欲に記録更新
高校生で本格的に水泳競技を始めた林田さんは、15年以上経った今も一回り年の離れた選手とパラ水泳の第一線で戦っている。「水泳は陸上競技と一緒で記録が全て。メダルは取れなくても、自分の記録さえ上回れば成長したんだなと実感できる。それがたまらなく快感なんです」
リオ大会後から抱き続けてきた「東京でも日の丸を」という夢はかなわなかった。それでも、「今は悔しさよりもしょうがないという気持ち」と切り替え、2年後の世界大会に標準を合わせる。目指す舞台が変わっても、表彰台の頂上を目指す貪欲さは健在だ。
〈神奈川県後期高齢者医療広域連合からお知らせ〉【75歳以上の方が対象】いざ、健康診査へ!今こそ自分の身体を見つめなおす時 |
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