トップインタビュー 「創業の地で歴史紡ぐ」 神谷コーポレーション神谷 光信 代表取締役会長
-昨年の2月で、創業80年の節目を迎えられました。歴史を振り返って頂けますでしょうか。
「木工所として軍用飛行機の木製部品の製造を始めたのが当社の原点。終戦後は、駐留米軍の宿舎で活用される家具の製造・修理を手掛けるように。技術力による品質の高さと堅実な仕事ぶりを武器に、数年後には建設工事に着手するようになりました。その後横浜で造船が盛んだったことから、船舶の内装工事に参入。その中で培ったパネル施工技術が住宅産業にも生かせることから事業を拡大。オイルショックを機に『日本住宅パネル工業協同組合』に加入、84年からは住宅産業の中でドアの生産に注力し始めました。生産工場は伊勢原と栃木県に拡大。伊勢原工場内には、障がいのある人も働ける湘南福祉工場も開設しました」
―一方で不動産事業も展開されています。
「企業などにビルを一棟貸しする不動産が、当社の収益の下支えとなっています。創業者である先代の父による『どんな状況でも従業員の給料が滞ってはならない』という考えのもと、不動産事業にも注力してきました。市内では本社=神奈川区=に隣接する学生寮をはじめ、8棟のテナントビルがあります。横浜駅東口には『横浜神谷ビル』を90年に竣工。床から天井までの高さで壁と一体化した『フルハイトドア』のショールームも、同ビル内に開設。今では全国に10以上のショールームを展開しています」
―今後の展望は。
「7年前にグッドデザイン賞を獲得したフルハイトドアの商品開発と販路拡大を柱としていきたいです。海外では石造りの家が多いため、建物は作り変えず、内装を変えていく。その点でドアに需要があると考えています。また海外で得たアイデアを日本に持ち帰って、家の中の便利さや安らぎの空間を提供していければと思います」
―そんな中、横浜に拠点を置き続ける理由を教えて下さい。
「創業から歴史を紡いできた地、という思い入れがあるのは大きいですね。横浜に少しでも恩返しできればとの思いで、消防団の器具置場建設用地を寄付したり、横浜・神奈川県における数多くの団体組織で会長や役員をさせて頂いています。そんな横浜も街の様相は変わってきましたが、これからも発展を期待しています」
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