区写真コンテストで最優秀賞に輝いた 井崎 和夫さん 六角橋在住 83歳
みんなの笑顔が見たくて
○…応募総数153点の頂点に立ったのは、五月晴れの大空を泳ぐ鯉のぼりの写真。構図をイメージしながら反町公園に向かい、人通りが無くなるのを待ってシャッターを切った。「粘ったおかげで狙ったとおりの作品に仕上がった」と胸を張る。他人に評価されるのが嫌で、これまでコンテストに出品したことはなかった。初エントリーでの栄冠に「家族に捨てられる前に認められてよかった」と笑う。
○…西区出身。父の転勤で北海道へ。絵を描くのが好きな少年だったが、「他人の主観に左右されるのが納得いかなかった」と写真の世界に。小学5年でカメラを手にしてから、70年以上の付き合いになる。横浜第一中学校(現希望ヶ丘高校)の修学旅行ではカメラマンとして活躍。医師だった叔父の影響もあり、横浜市大を経て東京医科歯科大医学部に進学した。
○…卒業後も外科医として大学病院に残った。「手術前後の写真を撮影するのは私の役目だった」。船医として半年間に及ぶ地球1周の航海も体験。これからという矢先、六角橋の実家で開業していた叔父が倒れた。それを引き継ぐ形で1966年に独立。以来「井崎外科医院」の院長として地域住民と触れ合ってきた。転機となったのは2000年。園医をしていた保育園の待機児童問題に直面した時だった。熟慮の末「土地・建物の提供」を決断。横浜初となる「病後児保育室」を併設する保育園の理事長として、第二の人生をスタートさせた。
○…既に3人の娘は独立。現在は写真が生きがいとなっている。横浜から富士山を撮影することを日課とし、市医師会でも会報の表紙写真を担当する。その原動力は「みんなの喜ぶ顔」だ。「風景の切り方によって写真の表情は変わる」という確固たる哲学を持ち、どこへ行くにもカメラと一緒。「いずれ個展ができればうれしい」と、これからも横浜を撮り続けていく。
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