味噌汁、冷奴、肉豆腐など、日本の食卓には欠かせない「豆腐」。かつては区内にも行商人が鳴らすラッパの音色が聞こえると、夕飯の支度に忙しい女性たちがざるを持って買い出しに集まってくる風景があった。時代は流れ、スーパーなどの量販店で安価で手に入るようになった今日、町内や商店街に豆腐屋の姿が消えつつある。
1951年創業、反町と六角橋に店を構える『いづみや豆腐店』もその一つ。商店街にある六角橋店には、豆腐や厚揚げ、がんもが並ぶショーケースに”3月末で閉店”との張り紙。常連客から「店閉めちゃうの」と聞かれ、店主の三橋美和さんは一言「はい」と答えて豆腐を袋に詰めた。「売上が落ちたということもあるが、年齢的にも潮時だと社長が判断した」と閉店の理由を明かした。
最盛期は一日1千丁
創業当時から変わらぬ同店の手作り豆腐は、大豆がぎゅっと詰まった濃厚で食べ応えのある昔ながらの豆腐。買いに来るのはほとんどリピーターで「若い人は全然来ない」という。
最盛期には一日1千丁を作り、区内外の小学校給食を通じて子どもたちの成長を支えた。現在も鶴見区内の3校で食べられているが、一日300丁ほどに減っている。三橋さんは「作り手である私たちも、もう二度とこの豆腐を食べられなくなる」と、言葉をかみしめた。
現在、横浜豆腐商工業協同組合に加盟している区内の豆腐屋は同店含め9店舗。六角橋で小林屋豆腐店を営む、県豆腐油揚商工組合の鈴木紫郎理事長は「豆腐屋は休みがなく厳しい仕事。子どもに苦労させまいと店を継がせなかったという店も多い」と話す。最も多かった1965年頃は約40店舗が営業していたという。
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