「神奈川県原爆被災者の会」川崎支部の支部長として語り部活動などを続ける 山口 淑子(よしこ)さん 高津区在住 86歳
今日一日を、全力で生きる
○…「あの朝、私は1階の居間にいてね。いきなりピカーってすごい閃光が目に飛び込んできたと思ったら、次の瞬間にはつぶれた家の柱の下敷きになって真っ暗闇の中だった」。73年前のあの日、広島への原爆投下で爆心地からわずか1・3キロ離れた自宅で被爆。当時13歳、女学校1年生だった。怪我を負ったものの一家5人は無事で、火災から逃れるために近くの川の中州に避難。その道すがら爆風で皮膚がただれて苦しむ人、一帯を焼き払った旋風が放つ猛烈な熱と悪臭、勢いに「火がいつ襲ってくるか怖くて怖くて。長い夜だった」
○…大阪で育ち、父親の転勤に伴い、原爆が投下された年の正月に広島へ。3年後に東京に引っ越した高校生の頃から被爆者団体の活動を手伝い始めた。「あの体験をした一人として、そして放射線の影響など被爆者へのいわれなき差別が悲しくて」ときっかけを語る。結婚して川崎に移ってからも活動を続け、約10年前から「神奈川県原爆被災者の会」川崎支部の支部長を務める。市内でも多い時には800人以上の被爆者がいた。同会では毎年秋に鎌倉で慰霊祭を行う。語り部の活動では子どもたちに当時をできるだけ温和に語る。「子どもたちを怖がらせてトラウマにしたくなくて。ただ、日本にそんな時があったことを知ってもらえたら」と思いをはせる。
○…川崎に来てからは子ども会や民生委員、二ケ領用水での灯ろう流しなど数々の地域活動に従事してきた。趣味のカメラでは、杖をつく今でも海外まで行って撮影するなど活発的だ。「あの体験をして明日生きていられる保証はないと知った。なら、やりたいことをその時やらなきゃね。頼られるうちが花よ」。朗らかなその笑顔に秘められた芯の強さが、一つひとつの言葉に表れていた。
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12月20日