連載第九回 宮前歴史探訪記 宮前区の30%は軍用地でした【9】宮前区に東部62部隊が来た
宮前区に軍隊があった?まさか?と言う方々は多いと思います。逆に知っているよという方は、当時からお住まいの方や関係者でしょうか。あるいは、区内の中学校で学んだり、宮前市民館などの講座や展示、現地見学に参加された方々かもしれませんね。宮前区の3割以上を占めていた陸軍のことを、今回から連載で紹介していきますので、どうぞお楽しみに。
陸軍歩兵第101連隊。これが宮前区・高津区にいた軍隊です。一般的には、東部62部隊といいます。1936年に、二・二六事件を中心になって起こしたのが、六本木の歩兵第1連隊でした。今の東京ミッドタウン(旧防衛庁跡)にありました。彼らが「満州」へ派遣後の留守部隊が、のちに101連隊になります。日中戦争を戦って帰国し、40年に赤坂の今のTBSへ移転しました。しかし、広くて平らな土地を求めて、川崎市内に諸施設や道路を朝鮮人も使って建設しました。
そして、太平洋戦争開戦後の42年11月20日、大山街道を行進して移転。今の宮崎中学校・青少年の家・虎ノ門病院などの高台が、東部62部隊になりました。二子橋からの大山街道で、川崎市長をはじめ大勢の人々が、県内初の歩兵連隊を大歓迎したそうです。/みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会・大泉雄彦
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