明治大学生田キャンパス(多摩区)内にある「平和教育登戸研究所資料館」で、戦争を知らない世代に「登戸研究所」の史実を伝える取り組みが続く。今年の夏は初めての試みとして、山田朗館長自身が案内役を務める「10代のための見学会」を開催した。
「これが風船爆弾。実際は直径10mほどの大きさで、日本から偏西風に乗って太平洋を渡り、2日半でアメリカに到着する想定で作られた。約9000発を飛ばして300発ほどがアメリカ大陸に到達し、6人の命を奪った」
平和教育登戸研究所資料館で7月20日に開かれた「10代のための見学会」。山田館長が、参加した中学生や高校生とその家族たち7人に向けて、丁寧に語りかけながら館内を案内して回った。有名な「風船爆弾」の展示室では、説明にも一層力がこもった。「この風船爆弾を作るために全国の女学生たちが動員された。彼女たちは何を作っているのか、全く知らなかった」
歴史から消える寸前
「登戸研究所」は戦時中、旧日本陸軍が細菌兵器や偽札などの「秘密戦」の兵器を研究・開発する施設だった。都内から生田キャンパスがある現在のエリアに1937年に移転し、敷地一帯に研究室や工場などが林立していた。終戦とともに資料は焼却され研究棟も壊されたため、歴史から消える寸前だったが、1980年代の市民による歴史研究活動により史実が掘り起こされた。
終戦から79年もの時が過ぎ、館長は、「戦争の教訓を次世代にどう継承するか」を思案している。「戦争体験者が他界し、『非体験者』だけで継承する日がやってくる」(山田館長)からだ。
そのため資料館では「語り」に力を入れる。月に2回は、元高校教員で資料館の展示専門委員の渡辺賢二さんと館長が案内役を務める見学会を定期的に開催。個人の見学でも要望があれば、学芸員から説明を受けられる。山田館長は「『語り』によって伝わるものの深さや力強さも大切にしたい」と語る。
20日の見学会では、参加者と語りあう時間も設けた。10代からは「風船爆弾の仕事なんてやりたくない」「秘密戦はルール違反だ」などの声が上がった。山田館長は、ある元所員が研究所で開発した細菌を使った人体実験について「(人間の命を奪うことに慣れて)趣味になった」と証言したことを紹介し、「なぜだと思う?」と10代に問いかけた。難問に沈黙が続いたが、館長自らが「人を大きく変えてしまうのが戦争。私たちはそのことを忘れてはいけない」と語りかけた。
資料館への問い合わせは電話(【電話】044・934・7993)かメール(【メール】noborito@mics.meiji.ac.jp)。
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