戦後70年に寄せた体験記「大正生まれの一人琴」を出版した 和田 義盛さん 宮前平在住 87歳
これからも恩返しを
○…「原稿用紙800枚くらい書いたかな」。昨年秋、87年の人生を振り返る体験記を書き上げた。中でも陸軍歩兵隊の一人として戦地を巡った太平洋戦争時の内容は貴重。年代や行軍の進路は勿論、兵士として、またシベリア抑留の生活まで細かく記されている。一般販売はしなかったが、国会図書館や区の図書館などには置いた。平和な今だからこそ、「若い人に読んで欲しい」。
○…完成までにおよそ2年半かかった。記憶をたどり、文献やかつての戦友らに確認をとりながら少しずつ書き上げた。思い出と呼ぶにはむごすぎることも数多くあった。「一緒にいた仲間が次々と倒れていく。多くのものを失った」。涙を流しながら筆を進めたのも一度や二度ではない。「戦争は絶対にだめなんだ」。少し目を潤ませながら、こぼした一言に、体験者の重みが宿る。
○…地元生まれの地元育ち。現在は夫人と二人暮らし。趣味は寺院めぐりを兼ねた小旅行。500〜600キロくらいの距離なら自ら車のハンドルを握り出かけている。慰霊の意味もあり、時には戦友の墓にそっと花を供えることも。「ご遺族をお騒がせしたくなくてね」。古き良き男の不器用な優しさ。昭和60年以降、中国との民間外交にも力を注いだ。自らが進軍した土地を訪れ、人々と触れ合った。何度か訪れる中、観音像を贈られた。「戦火に散った人々への思いは日本も中国も同じだと感じた」。
○…米寿を控える87歳だが、気力に溢れ「お年寄り」と呼ぶには早すぎる。その表れが数々の肩書き。県の商店街を束ねる商連かながわの相談役や県暴力追放推進協議会、川崎商工会議所、区観光協会など十指に余る各種団体の要職を務める。昨年秋には長年の地域貢献が認められ、叙勲を受章した。この活動の源は感謝の気持ち。「今までの私を支えてくれた多くの人たちへの恩を返していきたい」。まだまだ現役だ。
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11月22日
11月15日