高津物語 連載第八六〇回 「伊屋之免」【2】
久地神社裏山一帯は『新編武蔵風土記稿』で「山形」「大明神山」と記され、地元の人々は「デイミョウジンヤマ」と呼んでいるとか。
大明神山の根を久地橋から下作延の方へ回る道をヤノメ坂といい、その付近はヤノメと呼ばれる小さな集落で、かっての字伊屋之免で、「免」という地名は、近世以前、租税を免除された田畑にしばしば付けられた地名だが、ここの場合は『風土記稿』にも「いやのめ」と記され、地元でも「やのめ」と呼ばれていた。
もともとは「め」であったものに、単に「免」の字が当てられたのかもと旧版『川崎の地名』(日本地名研究所)にある。
「伊屋之免」を過ぎて緑ヶ丘霊園内を東高根森林公園方面に向かって行くと、直ぐ「松寿弁財天の御堂」があり、傍に三代目という「綱下げの松」がある。
『新編武蔵風土記』宿河原村の項に「旧跡綱下げ松、村の巽(南東)の方、岡の上に立てる古松樹なり。岡下の田地を下綱と字す。樹のある所は長尾、上作延・下作延・宿河原の村境で、この木を以てその印とす」とある。
これに続けて「太閤秀吉が小田原出陣のおり、神宮寺の城に向かった兵が、この松に綱を結びつけ、それを使って岡下へ降りた事でその名が付いた」とも書かれている。が、主題は文政五年(一八二二)六月十二日の「多摩川大洪水」だ。
暴れた多摩川は上流から家、田畑を押し流し、宿河原村に襲い掛った。民話と伝説が生れる端緒である―
村人は多摩丘陵へ避難しようとしたが、濁流に圧し流される人が多かった。
闇夜になった時、丘陵の松からパッと光が出て、白い布がするすると下がつて来た。村人は「あっ!命綱だ!」とその綱に掴まって丘陵上に逃れ、命拾いをしたという。恐ろしい一夜が明けた。村人が白い布を下して呉れた松の所へ行ってみると、白い蛇が鎌首を上げてとぐろを巻いて居た。「あっ!白蛇だ。蛇は弁天様の御遣い、弁天様は河川を支配する神様だ」と、松を「綱下げ松」と名付けた昔話が残る。多摩川本流は流れを変え、代わりにニカ領用水が山裾を流れて、久地分量樋へと流れている。
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