高津物語 連載第八七八回 「佐藤惣之助と溝口」
佐藤惣之助の詩が「あけぼの」十二号に載っている。
「一月の言葉」
「一月は天馬の様に白い。そして海のように若い。
小児のように青い。
私はその青い田舎の一月が好きだ。
田舎の人は一月を愛する。尊敬する。
田舎の人は一月を感謝し
称える。
そして祭る、跪拝する。
我々はその上を往く。
氷の山に攀する。
氷結せんとする海の岩礁に釣る。
一月は若い者ほど美しい。
小児でも娘でも亦、花や雪
や雲でも。
そして我々は「感情の世界」に座る。
座り乍ら「非人情」の美を称える。
小児の紅い袖に、雪白な柊の花と匂ひを。
をんな達の臙脂の影に、
仄かに咲かんとする雪割草を。
又雪に水獣の美を。
魚に青海の藍を。
昆虫にたんぽぽの花粉を。
斯へて一月の美を聚めろ。
一月の地表の、新しい花文を読もうとする。」
惣之助を招いた「あけぼの」会事務所は、橘樹郡宮前村字土橋六四九の小倉進さん方にあった。
「あけぼの会」は昭和五年一月、俳句中心の会で、詩歌雑誌『あけぼの』を刊行していた。代表者は土橋在住の小倉緑村氏、機関誌『あけぼの』発刊責任者である。会の顧問は、佐藤惣之助・飯田九一・畑耕一・川島つゆ・福田正夫・岡本かの子・並木秋人・乾直恵の面々である。
同誌発刊の主旨は「俳諧詩歌に親しむ若人が若き情熱と友情に結ばれて発足、詩を通じて郷土文化の向上、顕彰を目標とした」ものだ。惣之助は「これら若人の純情を愛して、こよなく美しい、友情の花園」と激励、毎月の会合、吟行、懇談会に欠かさず出席して、大いに激励した。
特に昭和八年十月一日の「あけぼの短歌会秋季大会」が二子亀屋で開催され「独歩の泊まったのは此処だろう」の惣之助の発言が切っ掛けとなって、溝口亀屋に『国木田独歩文学碑』を建立となった事は、画期的なことであった。
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