不定期連載コーナー 「社史」探訪 第2回 大河ドラマで時の人渋沢栄一の関わった社史
今回は、昨年大河ドラマで時の人となった渋沢栄一の関わった企業を社史でひもときます。渋沢栄一記念財団が公開する「渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図」によれば、「生涯に約500の会社に関わり、同時に約600の社会公共事業にも尽力」したそうです。あまりに膨大な数なので、ひとまず対象を銀行に絞って調査してみます。
まずは青森銀行の『あすなろ百年』(1979年刊)。「渋沢栄一と第五十九国立銀行」という項目に、渋沢栄一の写真や、指導の電報、指導書などが掲載されています。本文には「七六年(明治九)国立銀行条例改正により、青森県に国立銀行設立の気運が高まって以来、その指導はすべて渋沢栄一自らの手によった。(中略)ぼう大な字数の指導書の送達をはじめ、開業から営業中の諸問題や手続きも、すべて渋沢栄一の懇切丁寧な教導により遺漏なく取扱われた」と書かれています。
次は『七十七銀行120年史』(1999年刊)。「第七十七国立銀行の創立」に渋沢栄一の写真を発見しました。「第七十七国立銀行は士族による銀行創立で、営業や事務について全く不案内であった」ために、渋沢に指導を求めたとあります。人材の派遣や株式の引き受け等の支援を受け、「このような渋沢の支援はこのあとも数々あり、第七十七国立銀行の基礎の確立、発展に大きく貢献した。」と書かれています。
最後は十八親和銀行の前身である十八銀行の『十八銀行130年の歩み』(2008年刊)。「開業とその式典」という項目に、「国立銀行条例草案者の渋沢栄一が当行に宛てた書状」という説明が添えられた写真を発見しました。内容は頭取と取締役に対して銀行経営者の心得を説いたもので、(銀行の開業免許交付のために上京していた)「松田源五郎一行の動向も記述されており、松田源五郎は開業準備の諸手続きや経営の心得に至るまで、絶えず渋沢栄一に相談して指導を受けたことがわかる」と書かれています。様々な銀行設立の指導にあたる渋沢栄一の姿が見えた、社史探訪でした。
(執筆・同館企画情報課 堀田 桃香さん)
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