大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の投手として活躍した 峰 国安さん 高津高校出身 81歳
野球愛と感謝を胸に
○…「22歳で56本はすごいね。ワンちゃんのように努力してんだよ」。ヤクルト・村上宗隆選手の偉業を、王貞治さんと重ね合わせる。当時の日本記録を更新した53本目の本塁打を献上した川崎球場での一投は今も鮮明に覚えている。「絶対に抑えてやるってマウンドに上がったんだ。一本足のタイミングを外したはずだったのに…」。そんなプロの真剣勝負を、今もテレビ越しに見守る。
○…長崎県の港町で生まれ、実家は漁師。幼い頃から、船乗りだった父を手伝いながら野球に没頭。中学時代は駐留軍の米兵と草野球をしたことも。高校で無敵のエースに成長し、兄から「井の中の蛙」と揶揄されながらも大洋球団の目に留まり上京した。高津高校定時制に通ってプロ入り。選手として約10年、その後も巨人軍で長嶋さんや王さんの打撃投手を務めた。「球界の宝にボールを当て怪我させるのが怖いって言うから、おれが引き受けたんだ」。対戦してきた意地があった。
○…野球から離れ、新城にスナック「峰」を開業し、妻と第2の人生を歩き出すも思うようにはいかず。「選手だった頃と立場が違うでしょ。お客さんに頭を下げることができなくてね」。厨房から顔も出せない状況を変えてくれたのは妻。温かい客にも支えられ、半世紀近く。「本当に感謝ですね」。2人の息子と3人の孫にも囲まれ、82歳の誕生日に家族が集まる時を心待ちにする。
○…幼少期、たまたま塀に登って眺めていた「夕日のような景色」は、長崎に投下された原爆だった。海に沈む鉄くずを拾っては換金していた戦後。軍艦島にも上り、「コンクリートだらけの廃墟で草木が一つもない。異様だったね」。今の世界情勢も心から憂う。いつまでも野球ができる平和な社会を――。
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11月22日
11月15日