高津物語 連載第九七一回 「高津図書館の歴史【2】」
川崎市の図書館は大正十二年の私立向丘図書館が最初で蔵書一七五〇冊。
翌年、田島町立図書館。一五年川崎大師平間寺の大師図書館和漢書六六九冊、洋書一冊、年間閲覧者三六九三人、司書は若坊だった。
関東大震災で校舎が倒壊した高津第一、第二小学校は、溝口の素封家・上田安左衛門家が売却し、高津小学校地内に講堂と町立図書館が開設された。
が、高津町が昭和十二年、川崎市と合併、川崎市に移管され、川崎市立高津図書館になった。
また、川崎市北部唯一の女子教育機関として、高津町立高津実科高等女学校(現高津高校)が小学校隣地に開設された。土地は私の父名義を、昭和九年高津町に提供、町が買収した。
折から第一次大戦の影響で、教育の進展が見られ「国民道徳の高揚と児童体位の向上」が叫ばれた。「奉安殿」が設置され、国民精神滋養の中心とした。
自由主義を基調とした児童中心の教育が進められ、郷土教育、理科教育振興が叫ばれた(「川崎市史」)。
大正末、高津十字路には高津警察署・登記所・銀行(農工銀行)・東京電力・溝ノ口郵便局・野村病院等が集中した町の中心で、昭和二年三月、南武線が営業を開始、武蔵溝ノ口駅が出来、立川まで路線を伸ばした。村勢の発展で橘樹村と昭和三年四月十七日、町制が敷かれた。
昭和四年三月、小学校教員の要望で高津町立高津図書館として、高津小学校講堂裏に設立された。木造平屋建二四坪、建築費は一六七〇円。内部は畳と床板で、図書はガラス付き書棚に収納、管理されていた。蔵書数は八〇〇冊。
他に寄贈された図書が二七〇冊あった。初代図書館長は斉藤篤太郎高津小学校長が兼務、今も正門右側に、御影石門柱に「高津町立図書館」が見える。
職員は二名、開館時間は、午前八時から午後四時。閲覧料無料、男女青年団、在郷軍人会、青年学校生徒等の会合の会場に提供、図書の閲覧を奨励していた。
結果、蔵書数は九二五冊、開館日数は二五〇日、閲覧者は八四四九人、一日平均は三三人だったが、閲覧者は児童が圧倒的に多かった。
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