市政報告vol.4 市制100周年・川崎維新の会・第四回定例会代表質問 日本維新の会 川崎市議会議員 岩田ひでたか
高津区生まれの高津区育ち、日本維新の会の岩田英高です。9月14日に会派を代表して質問をさせて頂きました。その代表質問の前に「川崎市の歴史と未来」についてお話したいと思います。
川崎市の立ち位置
来年、川崎市は市制100周年を迎えます。歴史を遡れば、川崎市は神奈川県において独特の地位を占めてきた地域です。律令制下において川崎市は、現在の埼玉県、東京都、そして横浜市の一部と共に「武蔵国(むさしのくに)」を形成していました。それが証拠に、名称が『武蔵』で始まる駅名は関東に21駅ありますが、それらの駅は全て埼玉県、東京都、そして川崎市に集中しています(※1)。神奈川県の残りの地域は「相模国(さがみのくに)」でした。これが明治維新後の廃藩置県により、現在の埼玉県、東京都、神奈川県となったのは言うまでもありません。
そして1924年(大正13年)、現在の川崎区西部と幸区東部から成る川崎市が誕生しました。当時の人口はわずか約4万9000人。しかしその後、次々と鉄道が開通。町村編入により面積が拡大し(※2)、人口も増加。やがて日本有数の工業都市として発展していきました。そして高度経済成長期を経て、今や人口約154万人を抱える大都市へと変貌を遂げました。
迎える転換期
しかし、その川崎市も今、大きな転換期を迎えようとしています。とりわけJFEスチール株式会社東日本製鉄所京浜地区の高炉休止と、それに伴う跡地の大規模土地利用転換というのは、川崎市にとって大きなターニングポイントです。
今、川崎臨海部は水素エネルギーの製造・供給拠点として、また『体内病院ナノマシン』や『空飛ぶクルマ』といった、ライフサイエンスや次世代産業の研究開発拠点として生まれ変わりつつあります。私達の住む高津区も例外ではなく、溝口周辺は2020年から脱炭素モデル地区『脱炭素アクションみぞのくち』に指定されています。JFEスチールはかつて『工業都市かわさき』のシンボルでもありました。その高炉廃止の翌年に市制100周年を迎えるというのは、何かの天祐のように思われます。
このように新時代に向かって歩み始めた川崎市ですが、様々な問題を抱えているのも事実です。大きな視点で言えば、廃藩置県から約150年。当時と今日では経済・社会環境も、人々のライフスタイルも大きく変わりました。二重行政問題を始め、制度と実態の齟齬も生じてきています。身近な視点で言えば、教員不足、教育環境、多摩川防水、インフラ整備、公共交通の需給などの問題が山積しています。
改革政党として
川崎維新の会(正式名称:日本維新の会川崎市議会議員団)は、市議会では初の会派となります。守るべきところは守り、変えるべきところは変えていくという改革政党としての矜持を保ちながら、本市の更なる発展と市民の為に尽力して参る事を誓い、代表質問をさせて頂きました(紙面の関係でここまで。代表質問については翌月号にて掲載予定です)。
岩田ひでたか
TEL:050-3479-9169
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11月22日
11月15日