明治大学平和教育登戸研究所資料館(山田朗館長)が10月21日、戦時中に風船爆弾製造に動員された女性7人(予定)を招き、証言会を開く。同館展示専門委員の渡辺賢二さん(74)がインタビューを行い、同大文学部教授の山田館長(60)が解説を担当する。
各地で製造されていた風船爆弾について証言するのは、上野高等女学校(東京都)39回生と新京敷島高等女学校(満州=当時)21期生、高崎高等女学校(群馬県)45期生5人の予定。1944年から45年にかけて動員され、材料の和紙をこんにゃく糊(のり)で張り合わせる作業に携わったという。
同研究所の調査、研究の第一人者で、事前に証言者と面会するなど準備を進めてきた渡辺さんは「風船爆弾全体の構造や作り方を中心になって指導していたのが、当時の登戸研究所。2年前、戦後70年の企画に関することで会って話すまで、今回の証言者はその事実をまだ知らなかった」と振り返る。「80代後半になる皆さんが同時に集まり、製造について直接話を聞く機会は非常に貴重」と話す。
今回の証言会では、東京中心部と群馬県高崎市、満州で製造された風船爆弾の作り方など、さまざまな違いについて証言をもとに明らかにしていく。
研究所が開発1万5千発製造
風船爆弾は旧日本陸軍によって開設された登戸研究所が、アジア太平洋戦争末期に米本土を攻撃する最終決戦兵器として開発。全国各地の10代半ばの高等女学生を中心に動員し、約1万5千発の風船爆弾が製造されたといわれている。気球に水素ガスを入れ、爆弾をつって飛行させて運ぶ仕組みで、約9300発が発射されたという。
秘密戦の中核を担った同研究所は終戦時に閉鎖。1950年代に研究所跡地の一部を明治大学が購入し、現在の生田キャンパスが開設された。今年は「科学技術と民間人の戦争動員―陸軍登戸実験場開設80年」と銘打ち、同館で11月22日から企画展が行われる。
21日の証言会は明治大学生田キャンパス(東三田)中央校舎6階メディアホールで、午後1時30分から3時(30分前開場)。定員280人で予約不要、無料。
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