「歌手の小金沢くん」のCMでお茶の間の人気者に、現在も演歌歌手や俳優として活躍する小金沢昇司さん(61)=大和市在住=は、かつて認知症の母の介護を経験。「介護のプロを頼ることで家族が穏やかになれた」と振り返る。
--介護に至るまでをお聞かせください。
「大好きだった母さんが亡くなって8年が経ちます。実家(大和市)は中華料理店で自分は3人姉弟の末っ子。2人の姉とは11歳と5歳離れていて両親も忙しく、誰も遊び相手になってくれませんでしたね(笑)。自分が31歳の時に父が亡くなってからは母が店を切り盛りしていました。母が70歳を過ぎて店を閉め、ほどなく認知症になり『要介護1』の認定を受けました。しばらくは自分と姉の家で面倒を見ていました」
--自宅での介護は。
「認知症が徐々に進み、歩くことも難しくなっていきました。体に触れることがいいと聞き、マッサージをよくしましたね。トイレの介助もしましたが、こればっかりは涙が出ました。トイレまで連れて行くのはいいんですが、パンツを下ろすのがどうしてもダメで。姉には『何いってるの。息子でしょ』なんて言われましたが。介護では『親を大切にする』という思いと別の感情にも向き合わなければならなかったですね」
--有料老人ホームに入居したきっかけは。
「自分にも姉にもそれぞれ家族がいます。幼かった子どもは介護を理解できません。『何でお父さんやお母さんが大変な思いをするんだろう』と感じていたようです。また自分は仕事がら留守がちで、妻や姉に負担をかけているという思いもありました。母が『要介護5』となり、いよいよ自宅介護は難しくなって。姉たちは『最後まで家で介護したい』と言いましたが反対を押し切るかたちで決断しました。5カ所ほど回り、幸運にも自宅に一番近い有料老人ホームにお世話になることができました」
--老人ホームを利用して良かったことは。
「初めは心配もありましたが、介護のプロがいて設備も整っていて『安心した』というのが率直な気持ちです。しばらくすると姉たちも『昇司、やっぱり良かったね』と口をそろえていました。子どもたちと一緒によくホームに行きましたね。同居していた時よりも、思いやる余裕ができたんだと思います。実際に母親がどう感じていたかは、認知症だったのでわかりません。ただ、『ホームに入っておばあちゃん元気だね』という子どもの言葉が今も胸に残っています。抱えていたさまざまな葛藤が救われた気がしました」
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