堰稲荷神社で9月13日、「戦後75年戦没者慰霊祭」が執り行われた。奉賛会の小林利通会長(77)によると、同神社での開催はおよそ50年ぶり。戦時中、武運長久や戦勝を祈った場所で、遺族らが思いを巡らせた。
「出兵していく人を見送るために村中の人が集まって、ここで神様にお願いしていた」と話すのは、7歳のころに終戦を迎えた奉賛会の金子憲司副会長(82)。「歌を歌って、万歳して、久地駅までみんなで送っていく。駅でも万歳をして」と、情景を振り返る。
小林会長は当時2歳。父親の弟・小林鐵造さん(享年19)は1944年、レイテ湾で戦死した。「3人兄弟で長男の父は体が弱く、次男は結核で戦地に行けず、三男が志願兵だったと聞いている。今の若者と違って愛国心に満ちた、そんな時代だった」と語る。
勇士刻む忠魂碑
境内には、1958年に建てられた忠魂碑がある。「大東亜戦争に際し(中略)若く尊き一命を捧げられた勇士」として13人の名が刻まれている。
堰地区では2007年、龍厳寺で慰霊祭があったが以降は実現せず。小林会長は「昔はこの神社で行われていた。戦時も神社で祈願していたのだから、神社でやりたい」と戦後75年の節目に、先頭に立った。
慰霊祭当日は、遺族代表者と奉賛会役員ら20数人が参加。忠魂碑を前に、金子善光宮司(74)によって神事が執り行われた。「英霊に感謝し、戦争のないように恒久平和を誓った」と小林会長。19歳から33歳と若くして亡くなった戦没者の写真も掲示され、参加者同士記憶を語り合った。
各地で遺族の高齢化が進むが、堰の遺族会も例外ではない。中野島稲荷神社も兼務する金子宮司は「中野島では15年前、遺族が3軒しかなかったが、神社主催で慰霊祭を毎年継続。新しい人が参列してくれている」という。「堰でも恒例になれば」と思いを寄せた。
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