中野島にある浄土真宗本願寺派川崎多摩布教所「慶念寺」(小林賢五住職)の本尊に新しく迎える阿弥陀如来立像が、松平家・徳川将軍家の菩提寺として知られ、NHK大河ドラマにも登場する成道山大樹寺(愛知県岡崎市)に由来するという文章を、このほど小林住職が読み解いた。「由緒のあるご本尊を大切にお迎えしたい」と小林住職は話している。
宗教法人化に向け浄土真宗本願寺派と包括関係を結ぶにあたり、現状の本尊では宗派の定める基準に合わないことから、同寺は三重県の寺院から、本尊として木像を迎え入れることとした。
木像には欠損やゆがみなどが見られたため、京都の仏師に修復を依頼。仏師が寄木造りの像を一度解体したところ本体の内側に文章が記され、さらに中には和紙で何重にも覆われた巻物も収められていた。まず、小林住職が内側に書かれた文章を調べ、木像の制作年代が正保3(1646)年、三代目将軍・徳川家光の時代であることを読み解いた。加えて、阿弥陀如来をあらわす梵字や経文、由緒なども記されていたことから、「三河額田群成道山大樹寺で作られ、子院である善揚院に移された」と小林住職は分析。「由緒のあるご本尊で驚いた。大切にお迎えしたい」と話した。
三重から多摩区へ
後日、改めて中にあった巻物を調べると、「當寺本尊縁起」と題する文書が。これは慶安2(1649)年に書かれたものとみられ、仏師から木像が過去に修復された形跡があると指摘されていたことから、小林住職は「作った3年後に補修のため一度像を開け、その時に中に巻物を入れたのでは」と推測する。外側を覆う和紙は虫に食われ傷みが激しかったものの中の文書の状態は良く、古典に精通する知人の僧らの協力のもと解読した結果、愛知県・城宝寺の当時の主僧が書いたもので、その僧が隠居寺として建てた「萬松寺」に、善揚院の本尊だった木像を迎えた旨が記されていたという。その後、木像は三重県の浄土真宗本願寺派の寺院に遷座。同寺の解散に伴い、このほど慶念寺の本尊として迎えられる運びとなった。
小林住職は「江戸時代初期から多くの人の心のよりどころとなったご本尊様を引き継ぐという責任を持って、皆さんと一緒にお参りさせていただきたい」と話している。修復は10月末完了予定。
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