昨年7月に初の著書『ヤングケアラーの歩き方』を出版した大庭美代子さんは宿河原にある「コミュニティカフェSaha」で昨年12月23日、自身の経験などを語るお話会を開催した。
子どもたちがどんな環境に生まれたとしても心身共に健康で幸せに生きていける社会実現を目指す任意団体「あゆみYELL」の代表を務めている大庭さん。子ども時代、父親がアルコール依存症で働かず、暴力を振るう「機能不全家族」のもとで育ち、貧困を経験した。現代で言う「ヤングケアラー」の当事者だった。著書は自身の経験のほか、さまざまな背景のある9人のヤングケアラーを大庭さんが取材して1冊にまとめた。
教諭との出会い
大庭さんは2019年から「夢を持つことの大切さ」「子どもが夢を持つためには、大人の協力が必要であること」などを自身の経験と共に伝えるお話会を行っている。
23日は11人が参加し、大庭さんの話に耳を傾けた。小学1年生のとき、貧しくて水着を買えず、水泳を欠席せざるを得なかった。「貧困は水泳という体験すら奪っていった」。転機は小学3年生の担任教諭との出会いだった。「勉強会やピクニックを企画してくれたり。良い所を認めてくれて、励みになった」と大庭さん。「支えてくれる大人、先生になりたい」。そんな夢が人生を前に動かす原動力になったという。教諭以外にも周りの大人たちに支えられ、国立大学の教育学部合格を果たす。だが、暴力を振るう父親のもとに母親だけを残したくないと、採用試験を受けずに自宅から通える地元企業に就職した。
産後うつに
結婚、出産後、うつを発症する。育児相談に行き、「大丈夫ですか」と声をかけられると、涙が溢れ出した。「子どもが笑わないのです」。そう相談すると、「お母さんは笑っていますか。赤ちゃんは母親の笑顔を見て、笑顔を覚えるのよ」と言われた。「笑顔になれるくらい楽な子育て。1人で抱え込まず、周りに支えられる子育てで良い」と考えを変え、「助けて」と言えるようになり、産後うつを克服した経験を話した。
「子育てをしている人を支えたい。それが子どもの幸せにもなる」。そんな思いは「助産師になる」という2つ目の夢に結びつく。
だが、一歩を踏み出せなかった大庭さんを決断させたのは父親だった。いつものように飲んでいた父は、その日の夜に事故で突如、帰らぬ人になった。「人って、いつ死ぬか分からない。やりたいと思ったときにやらないと」。1週間後、会社を辞める旨を伝えていた。2度目の大学合格、4年間の学生生活を経て、40代で大学病院に採用され、助産師になるという夢を叶えた。
自身の経験を振り返り大庭さんは、「周りの大人の応援、支えがあったからこそ。さまざまな事情で夢を持てない子どもも。大人の力は大きい。夢があることで、あすを生きる力になる。夢を持って歩くと、必ず応援団が出てくる」とメッセージを伝えた。
大庭さんの話を聞いた後、参加者は「人との出会いの大切さを感じた。誰かを支える力になりたい」「厳しい環境でも前向きだった気持ちを見習いたい」「周りに頼りながら、楽しく子育てをしたい」など、互いに感想を共有し合っていた。
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