川崎を撮り続けた写真家・小池汪(おう)さんが他界して1年が過ぎた。市民の暮らしに温かいまなざしを向け、戦争体験から平和を願った反戦写真家だった。小池さんが遺した数々の写真が、市制100年を迎えた川崎で、重みを増している。
小池さんは1933年に東京都で生まれ、軍馬の調教師だった父の仕事の都合で42年に現在の宮前区に移り住んだ。19歳で本格的に写真を撮り始めて昨年7月に89歳で亡くなるまで、川崎の風景や人々、文化や歴史を写し続けた。その足跡をたどる追悼展示が、明治大学平和教育登戸研究所資料館で11月まで続く。
戦時中、機銃掃射の中を逃げ惑う経験もした小池さんは「一貫して『反戦』の写真家だった」と次女のれいさん(51)は語る。旧日本陸軍の秘密戦の研究拠点だった「登戸研究所」の遺構に通い、市民とともに史実を掘り起こし、写真に記録し続けた。その数は約2700点にのぼる。
「登戸研究所」の研究棟は壊され、資料も廃棄されたため、小池さんの写真は貴重な資料となった。2010年に資料館が開館すると、オープニング企画として「戦争遺跡写真展 登戸研究所から戦争遺跡をみる〜川崎を中心に〜」を開催。追悼展示は、この時の写真の一部を再掲している。資料館の山田朗館長は展示に寄せたあいさつで、小池さんの写真を「現物と同等の、あるいはそれにまさる資料的価値がある」と称賛する。
そして市制100年と相まって存在感を増すのが、06年制作の写真集「川崎50年」だ。鉄道開通に向け姿を変える田畑。自然豊かだった二ヶ領用水。杜氏や紺屋など職人たちの真摯な姿。素朴だった川崎を伝える。
亡くなる半年前、「川崎50年」を見て訪れた地元の小学生に、川崎で写真を撮り続けた理由を問われ、こう答えたそうだ。「風景があって家があって、色々と変わっていく。でも大事なのはその中で住んでいる人たちが、幸せでなきゃだめってこと。そのことを、写真に写してきたんだ」
写真集「川崎50年」の問い合わせはメール(【メール】koike.ou.photo@gmail.com)。
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