薬物依存症者の治療回復支援施設「川崎ダルク」(中原区)が今年で開設20年を迎える。施設で500人近い依存症の人々とかかわり続けてきた理事長で、もと依存症当事者の岡崎重人さん(43)に思いを聞いた。
2004年に開設された川崎ダルクは、薬物やアルコールなど多様な依存症からの回復を後押しする入所・通所施設だ。利用者の増加とともに活動拠点も広がり、現在はデイケアセンターのほか、共同生活を送る入所施設が中原区と高津区に1カ所ずつある。6月1日現在の利用者数は入所利用が9人、通所利用が5人。薬物とアルコールがほぼ半数ずつという。
体験や思い共有
岡崎さんもかつては薬物依存に苦しんだ当事者だ。18歳で大麻やコカインを常習。家族に連れられてNPO法人「日本ダルク」に相談に行き、沖縄ダルクへ入所した。しかし当時は「薬物依存症者」という自覚がなく、ほどなく沖縄ダルクを抜けて東京に戻ったが、依存症は悪化。再び日本ダルクに入りなおした。
川崎ダルクが立ち上がったのはその数カ月後だった。岡崎さんの相談者が川崎の所長として開設準備を始めるタイミングで、「一緒に行こう」と誘ってくれた。2004年5月のことだ。
回復プログラムで重要なものは、依存症者同士が体験や思いを共有するミーティングだ。壮絶な生い立ちや癒えない孤独など、利用者たちの「語り」に耳を傾ける中で、依存に陥るプロセスを共有していく。岡崎さんは運営に携わるとともに当事者としてプログラムに参加し、回復を遂げた。「依存を克服した人たちの姿や話にふれて、新しい生き方に興味を抱くための『動機』をはぐくむ場所。それがダルクだと思う」
20年間で300人以上が川崎ダルクを卒業したが、岡崎さんにとっては依存症の難しさを思い知る20年でもあった。回復した人生を送り続ける人もいれば、再発してダルクに戻る人も、戻らない人もいる。自死を選んだ人もいる。
施設運営の困難もあった。14年には女性専用の通所施設を開設し、市内外から利用者が相次いだが、市の補助金の対象に「市外」の利用者はカウントされず、資金繰りの厳しさから22年に閉鎖した。一方で、コロナ禍で開けなくなった「家族会」の代わりに、群馬など全国8カ所のダルクと合同で開くオンラインミーティング「ファミリーサポートグループ」も始まった。
岡崎さんは言う。「ダルクはあくまで通過点。ここを通過した後の人生が、もしうまくいかなくても、支え続ける場所でありたいと思う」
11月27日(水)には、「カルッツかわさき ホール」(川崎区)で20周年記念イベントが開かれる予定だ。
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